祈りのかたち

注連縄には”境界”としての役割があり、

 

 

 

 

「ここからは悪いものは入れません」

「神さまがここにはいます」

 

 

 

 

などといった意味が含まれているとされています。

 

 

 

 

日之影では、

そんな意味をもつ注連縄を、

一年を通して玄関先に飾ります。

 

 

 

 

町を歩いてみると、各家に飾ってあるわけなのですが、

町から、なにか神妙な空気が漂っているようにさえ感じられます。

 

 

 

 

今となっては、

なぜこのような文化があるのか、

なぜそれが今まで続いてきたのか、

明確に知ることはできませんが、

 

 

 

 

今でも神さまを身近に感じ、そして、

”祈る”ということを大事にしていることは確かに伝わってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族が一年安全に暮らせますように

自然災害がなく、無事に収穫を迎えられますように

良き縁がありますように

 

 

 

 

 

 

「清々しいな」

と思いました。

 

 

 

 

ただ自分自身のお金や権力などの

欲を満たすだけのような祈りが

うすく広がっている現代において、

 

 

 

 

自分の力の及ぶ範囲を知り、祈りをささげる。

自分の利益でなく、自分の大切な人のために。

 

 

 

 

いいなあ、と。

僕は、この方向に正しさを感じます。

(まあ、なんでも行き過ぎは禁物だと思いますが)

 

 

 

 

そんな人々の祈りに

そっと寄り添うことができる注連縄やわら細工に携われること、

とても嬉しく思います。

 

 

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まだまだこれからという感じですが、

いつまでも今の気持ちを忘れずにがんばっていきたいです。

わら細工

お久しぶりです。

 

 

日之影町での緑のふるさと協力隊としての活動を今年の3月に終え、

つい先日、日之影町に再び帰ってきました。

 

 

これからは、”わら細工”をつくる工房にお世話になります。

 

 

このブログでは、

僕がわら細工という手仕事に携わっていくなかで感じたことや思ったことを、

少しずつお伝えしていきたいと思っています。

 

 

「そもそも、わら細工ってどんなもの?」

 

 

とお思いの方も多いかと思うので、

ひとつひとつ、丁寧に、ぼつぼつと更新できるように心がけていきます。

 

 

少しでもみなさんに

僕がわら細工に感じた魅力を届けることができたら嬉しいです。

 

 

また、同時に、

日々の暮らしのことも、ちょこちょこと更新できたらなと思っています。

 

 

文章等、おかしな点があることもあるかと思いますが、

温かい目で見て頂けたら幸いです。

よろしくお願いします。

January has April's showers

2+2=?

 
 
 
 
もしも数が数えられなかったら
もしも"+"の意味を知らなかったら
正しい答えにたどり着くことはできません。
 
 
 
 
もしも外側の大きな存在に
"2+2=5"が正しいと信じ込まされているとしたら
正しい答えにたどり着くことはできません。
 
 
 
 
あるいは
 
 
 
 
"2+2=4"という正しい答えを知っていながら
意図的に、あるいは意図せずに
"2+2=5"を選択することもあるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日、近所でラウンドアップを見かけました。
先日は農協で堂々と販売されているところも見かけました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは"2+2=4"なのか
あるいは"2+2=5"なのか
 
 
 
 
何が正しい答えなのか。
ひとつひとつのことをもう少し深く考えないといけないのでは?と思いました。
 
 
 
 
また
 
 
 
 
"2+2=5"を選択したとしても
それを他人に押し付けちゃだめだし
それによって他人に害を与えるなんてもっとだめだと思います。
 
 
 
 

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不思議なこと。

こんにちは。



庭の満開の紫陽花と、とんでもない量の雨に梅雨入りを感じている僕です。




日之影での生活も二ヶ月が経とうとしています。



「少し慣れてきたかもなあ」



なんて思っていたら、



今朝、首ででっかい蜘蛛が添い寝をしており、

やっぱり慣れてねえ!!と思い直しました...




夏、怖い...








さておいて、




最近、気になることがあります。



それは、

植物のことです。



そうです。

まわりに当たり前のようにある、その植物です。




なにが気になるのかと言うとですね...




たとえば、葉っぱの形。



ハート型。

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よく見ると変な模様。

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まわりがギザギザ。

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一言で植物と言っても、

葉っぱの形だけでも信じられないくらい様々な種類があります。



葉に限らず、花や茎、根も多種多様です。




僕は、彼らのこんな姿形にはなんらかの意義があるのではないかなあと思っています。

生物である以上。




わかりやすい例では、

サボテン。



サボテンは、

植物にとって死活問題となる、水を得難い環境に生息しています。

彼らはこのような土地でなんとか生き残るために、水を蓄えやすいような肉厚な葉や茎を持つようになりました。




では、なんでハートや、変な模様や、ギザギザになったのでしょう。



もしサボテンのように、

彼らが長年に亘って経験してきたことが純粋に反映されているとしたら、

どんな経験をして、この姿形になったのでしょうか?



ほんとに面白いです。



そんなことをひとつひとつの植物を見ながら歩いていると、今まで素通りしていた道もいつもと様変わりして見えます。




もっと彼らのことを知りたい。

もっと彼らのことを見ていたい。




先日、

そんな気持ちでこんな本をお借りしました。

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(この本は樹木だけですが)




この全720ページにも及ぶ図鑑を片手に山を歩きたい!と目論んでおります。

音はざくざく。

大麦の収穫のお手伝いをしてきました。






麦のベッド!!
わーい!!

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...結構チクチクします。







そして、



積みに積んで...



こんなになりました!


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オラ(前任の遠藤さん)に元気を分けてくれ!


うーむ、絵になる。





軽トラの凄さを改めて実感しました。

横浜ではあんまり見なかったけど、

日之影みたいな山間地では大活躍ですっ!





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うーむ、絵になる。


きれいだなあ。

出来の下半分も

この虫...

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昔から

なんだかシンパシーを感じてたんです...





あの虫がこうなって

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こうなって...

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こう...

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はっ!




だからか!








断じて体型によるシンパシーではない。

と思う。








(そういえば、ナナフシって初めて見ました...)

あしひきの

「奥ゆかしい」を国語辞典で調べてみると、

「表から見えない奥深くに魅力を感じること」とされています。

 

 

この奥ゆかしさというものは日本特有の文化と言え、

日本では古くから日本の精神として尊重されてきました。

 

しかしながら、欧米などではこれは否定的に捉えられることが多いです。

自分の意見を上手く表現できない状態という風に見られるのですね。

 

 

 

あくまで個人的な感覚ですが、

欧米では、なんでもはっきりさせようとする方向に動くことが多いように思います。

 

 

たとえば、料理。

 

ステーキやホットドッグ、ハンバーガーを思い浮かべて頂けるとわかりやすいと思います。

ケチャップやマスタード、各種スパイスをばかばかかけて、風味付けをする。

よく言われる”足し算の料理”です。

 

 

一方、日本では、

今でこそ欧米の文化が輸入されて料理自体も少しずつ多様化していますが、

昔から続く日本料理、つまり和食はその素材そのものの風味を引き立てる料理です。

風味を付けにいくのではなく、素材の味を引き出すようにする。”引き算の料理”。

 

スイカに塩をふってスイカの甘さや美味しさを引き立てる、というのがこれに当てはまります。

 

 

お茶についても似たことが言えると思います。

味の面ではなく、気持ちの面について。

 

お茶は珈琲とは違い、

仄かな風味を自ら感じにいかないといけません。

珈琲のようにガツン!とくるような風味はないからです。

 

心を落ち着かせて、

「これからお茶を飲むよ」

という気構えが大切だと、

最近お世話になっているお茶園(一心園)のご主人に教えていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでもそうなんですが、

短期的な利益は魅惑的です。

欧米に限った話ではなく、人間にとっては。

 

 

でも概して、短期的利益は長期的利益に繋がらないことが多く、むしろマイナスであることが多いです。

 

 

美味しいと感じる砂糖や塩などの調味料やお肉を過剰摂取した場合の体への影響(糖尿病や高血圧、味覚障害など)、

少し意味を拡げて、冷房なんかもそれに当てはまります。

短期的な涼しさを求め続けた結果、冷房病や冷え症が増えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと、

”奥ゆかしさ”というものは、短期的な利益にさほど捉われない考え方のひとつで、

人が生きていくうえで大切なものなのではないかなあという事です。

 

 

それを国の文化としている日本に生まれ育ったことに対して嬉しいと思うと同時に、

これがグローバル化の進行によって少しずつ失われつつあることが残念だとも思います。

(だからどう行動するか、というのはもっと先のお話ですが。)

 

 

うむ。

この年になってやっと自国の文化の良さというものが少しわかってきたかもしれません。

 

 

それはたぶん、

自分の肌でそういう文化に直接触れることができたからでは、

と思ったりもしています。

 

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でも...

 

 

 

美味しいもの=体にいいもの

ではないようにできているなんて、

なんだか憎くて面白い世界ですよね。